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「日本史探訪 15 ~戯作と俳諧~ 」

 「日本史探訪 15 ~戯作と俳諧~ 」を読了しました。

 
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こうなったら(!?)、意地でも最後22巻まで読んでやる!!(って、誰に向かって言ってるんだか・・・・?!)

 
 今回の内容は、

 井原西鶴

 近松門左衛門

 与謝蕪村

 上田秋成

 大田蜀山人

 小林一茶

 良寛

 十返舎一九

 滝沢馬琴   以上でした。


 私、こう見えて(!?)、大学は、国文学科卒業です。大学には、源氏物語講義で著名な教授とか、万葉集で有名な教授とか、そうそうたる教授陣がおられて、卒論と言えば、「近世」とか、「源氏物語」とかをするのが当たり前の雰囲気の中で、私ひとり、大江健三郎を、それも、「セブンティーン」を卒論に選んだという異端児(!!)でした。
 だから(!!)、今回の西鶴やら、近松やらは、お名前は存じ上げてますけど、詳しくは・・・という、情けない国文科卒です。

 近世の文学って、面白いものなんですね。
 
 みんなそれぞれに鬱屈してます・・。
 
 たとえば、「南総里見八犬伝」の滝沢馬琴は、
 「自分は今まで、何百種類の小説を書いてきた。おおよそのことは、全部枠組みを書いて、そしてそのとおりに小説を書いてきた。すべての小説の結末は、理にかなったように整えたつもりである。しかし、自分自身を小説に見たてた場合、こんな結末のメチャクチャな小説はあろうか」と晩年、述懐しています。

 また、近松門左衛門は、死に臨んで
 「いまはの際にいふべくおもふべき真の一大事は、一字半言もなき倒惑」と。

 そして、大田蜀山人にいたっては、
 「世の中は色と酒とが敵(かたき)なり
   どぶぞ敵にめぐりあいたい」  だそうです。

 「いったい自分はだれで、どこから来てどこへ行こうとしているのか」という悩み、苦しみを「近代的自我」と呼ぶとするならば、彼らの悩みと、平成の世に生きている私たちの悩みは、もはや同じだと思う。

 古代国家や律令体制の時代の話より、ずっとずっと身近なものに感じられました。


 さて、本日のおまけ画像。 

 
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ゴーヤサワーに続く、第二弾(!?)。
 たくさんいただいたゴーヤの利用法。
 ゴーヤ茶です。
 ただ、綿をとって干すだけ。そして、煮出して保温水筒に入れて飲むだけ。
 苦いです!!癖があります!!
 我が家で飲むのは、私だけです。
 私は、好きです。
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by atsu2co | 2014-09-15 15:59 | 通訳案内士試験 | Comments(0)
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